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Category : 山の手・下町

山の手・下町に東西がからむ理由

所在が山の上と下(註)、だから「山の手」「下町」。これが本来の分け方の根拠だ。

京浜東北線の赤羽あたりから品川あたりまでの線路が、だいたい、洪積台地(註)と沖積低地(註)の境界線になっている。簡単に言えば、「崖っぷちを走っている」ということになる。
実際には、御徒町あたりから田町あたりまでは、線路より若干西側まで低地になっている。
江戸なら、おおまかに「江戸城から西」の地域が洪積台地になる。

武蔵野台地の東端
台地と低地の境界線(青線が京浜東北線、赤線が若干西側の境界)
(クリックすると別ウィンドウでグーグルマップが開きます)

武蔵野台地は地盤が安定しており、透水性が高い関東ローム層(註)が表面を厚く覆っているため、水はけが良い。また、関東ローム層の下には礫(れき=小石)層があるために湧き水があり、そこから流れる小さな川をせき止めて水源を作ることができた。井戸を掘ることもできた。
江戸城は台地の先端部にあたり、山の手・下町の中央に位置した。

地形として明確な上に、東京には線路があるのでおおまかな境目が分かりやすい。
つまり、「東は低地、西は台地」としてしまえば、手っ取り早くてラクだ。

これが「山の手・下町」に「東西」がからんでくる理由だ。


だが、これは地形としてのおおまかな区切りに過ぎない。山の手・下町とは全く無関係だ。

江戸時代は「西側は台地」=「西側は山の手」とくくってもあまり大きな問題ではなかった。「東側は低地」=「下町は東側」も同様。
都市圏が小さかったので、結果として、谷地の量も少ない。さらに、江戸全体としても町人地が少ない。だから、細かく見れば違和感があっても、大勢としては問題なかったのだろう。
下町にしても、お城から見れば東側にあるので、それで問題なかったのだろう。

地形を分ける線より西側にも、下町的な雰囲気を持つ場所は多く存在する。
武蔵野台地は谷が多く、丘の上と谷とでは、いろいろな違いがある。
これは未確認なので推測だが、西側の谷地にある町人地は、同じ町人地でも沿岸部とは性格が違っていたと思われる。それもあって、現在に至るまで、いわゆる「下町」とはイメージが違うのではないだろうか。


要するに、東西での区分は、地域分けとしてはあまり意味をなさないのである。

江戸では、人によって住む場所が分けられた
それによって「山の手」「下町」という構造ができた。

だが、東京には、居住地の制限は基本的にない。
しかも、街全体がとても広い範囲まで拡大した。

東京は西へ大きく広がったが、それが江戸の「上下=西東」と混同され、誤解につながった。

山の手・下町と東西をからめるのは、時代背景の変化を無視した混同と言える。
(了)



山の上と下
「範囲」として見れば、山の手は山の「上」ではなく、山の「方」になる。だから、台地にあれば、谷地だろうと窪地だろうと崖地だろうと山の手にあたる。
しかし、そこに住む人間について考えると、山の手の中で、山の上と下に分けなければならなくなる。それはややこしい上に、江戸でも例外が出てくる。東京にはさらに当てはまらないので、単純に「上と下」ということにした。この方が現実的だと思うし。
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洪積台地
洪積世(更新世:約100万年前から約1万年前まで、なんとかピテクス(猿人)たちからほんにゃら原人たちを経てクロマニョン人(新人、今のヒト)に進化している頃)に堆積した地層でできている地形。東京都区内の場合は、おおむね武蔵野台地。
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沖積低地
沖積世(完新世:約1万年前以降、クロマニョン人が現れた頃)に堆積した地層でできている地形。簡単に言えば「未だに川底にある地域」で、堆積物がしっかりと固まっておらず、含水率も高いため、地震発生時には液状化現象が起こりやすい。
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関東ローム層
いわゆる「赤土」。富士山や箱根火山の火山灰が降り積もったもの。小学校あたりの理科で習ったような気がする。おそらく、東京人ならば常識だろう。
だが、火山灰ならばもう少し白っぽい色をしていそうな感じがする。それがなぜ赤いのか。確認はしていないが、おそらく、火山灰に含まれる鉄分が酸化、つまりサビているのではないかと思われる。
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【参考資料】
●鈴木理生 『江戸の川・東京の川』 井上書院、1989
●東京地図研究社 『地べたで再発見! 『東京』の凸凹地図』 技術評論社、2006
●正井泰夫 『城下町東京 付録・大江戸新地図』 原書房、1987

ホームページ
●国土地理院 地図閲覧サービス ウォッちず
http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx



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江戸の武家地と町人地
山の手と下町


山の手と下町
山の手と下町
結局、「山の手」「下町」とは
「山の手」「下町」のイメージ
●山の手・下町に東西がからむ理由
江戸の山の手・下町
山の手・下町と城南・城北
なぜ食い違う?
江戸と東京は別の街
「山の手」「下町」って、どこ?
山の手と下町の違いは「塀」?




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2009-06-27(土) | Trackback(0) | Comment(0)

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野口 賢治

Author:野口 賢治
齢三十有余。転勤で名古屋にいた一年半を除けば、生まれてこの方、東京暮らし。物心ついてからは、縄文時代には水の底だったあたり。しかも、一人暮らしを始めてからも、好き好んでその辺に。軟弱地盤が好きなんです。


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