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Category : 山の手・下町

なぜ食い違う?

江戸も東京も、できた当初と比べてずいぶん拡大した
これが、山の手・下町のイメージと実際が食い違う根本的な理由だ。

江戸は、幕府ができた頃は、江戸城の東・隅田川の西・神田川の南・江戸湾の北、という程度だった。後に言われる「下町」とほぼ同じくらいの範囲だ。

江戸の下町
江戸の下町(クリックすると別ウィンドウでグーグルマップが開きます)

これが、人口の増加と共にどんどん拡大していく。

幕末頃の江戸
幕末頃の江戸(クリックすると別ウィンドウでグーグルマップが開きます)

大都市にとって物流が重要なことは、江戸も変わらない。江戸時代の大規模物流手段は船だった。江戸時代の低地は、水運の要衝としての商業拠点でもある。したがって、水運の都合がいいため、江戸は東側に広がっていった

1661(寛文元)年に大橋、後の両国橋が架けられ、「川向こう」の開発が本格化する。
幕府は、砂州だか荒れ地だかよく分からない状態だった本所・深川のあたりに運河を造り、土地開発を進めた。墨田区の南から江東区にかけて、直線的に広がる運河たち(註)は、このときに作られた。

両国橋は、武蔵・下総の両国をまたぐ橋だから両国橋と名付けられた。
江戸は広がったが、「下町」は広がらなかった。武州ですらない所が下町と呼ばれないのは、当然とも言える。


明治になり、東京から武家地がなくなる。政府が接収して転用した土地もあるが、多くが野原になった。
また、人口は激減した。江戸は百万人を超える人口を誇ったが、当初の東京では半分以下に減った。

それもやがては拡大の方向に進む。
特に関東大震災以降、拡大は主に武蔵野台地の方向、つまり西へ広がった(註)。西側は、東側に比べて未開発地が多く、震災での被害も少なかったことによる。
武蔵野台地は、住宅地として広く開発された。その武蔵野台地には谷が多い。これは、地形として「台地と低地が混然としている」ということだ。西側が「山の手」から「台地と谷地の両方」になったということだ。

東側も、江戸時代には農村だった地域が、工場や住宅地として開発されていった。

こうした開発によって、「都市」としての範囲が劇的に広がった。以前は郊外だった地域まで、都市に取り込まれた。

言ってみれば、このあたりから「江戸時代からの都市構造が大きく変わり始め、かつての状況と現状の違いが大きくなり始めた」ということだ。

それでも地域名は「山の手」「下町」のままだった。イメージもそのままだった。そして、都市の拡大といっしょに広がっていった。
山の手も下町?で指摘した通り、「山の手」に住む人の由来も大きく変わっているのに。

このように、東京は江戸ではないことは、江戸の「下町」が特定の範囲を指していたのに対して、東京の「下町」はかなりあいまいなものであることからも分かる。

このズレが放置され、現状との差は拡大し、「違うだろう」状態になっている。これが現在の状況だ。


たしかに、地形を元に東西で分けるのは、手っ取り早くてラクだ。

武蔵野台地の東端
武蔵野台地の東端
台地と低地の境界線(青線が京浜東北線、赤線が若干西側の境界)
(クリックすると別ウィンドウでグーグルマップが開きます)

だが、それで行くと、丸ノ内も下町になる。
丸ノ内は埋め立てによって作られた江戸時代から武家屋敷で、町人の住み処になったことはない。下町には、なり得ない。
板橋区は下町的な町工場が多いが、西側だ。

江戸時代の「山の手」「下町」という分け方は、もはや過去の区分であり、それを現在に持ってくると、なんだかワケが分からなくなる。

東京は広がり続けている。
山の手・下町という地域区分も、それにくっついて広がっている。
中身がないのに。広がる理由もないのに。

だから、看板と中身が食い違う。山の手でも下町でも。

ここまで来ると、もはや、ズレた状態が修正されることはないだろう。
(了)



運河たち
今も残る大きな物として、東西方向には北から、北十間川、たて川、小名木川、仙台堀川。南北方向には西から大横川(横川)、横十間川。

なお、東西線よりも南は、越中島を除いて明治以降の埋め立て。
戻る



西へ広がった
「東京が西へ広がった」というのは、行政区分上の問題もある。
範囲の変化はともかく、最終的な区分けとして東京府は東西に長い形であり、旧・江戸地域はその東の端に近い場所にあった。したがって、「東京」として広がりうる方向は基本的に西しかない。

実際の市街地は、東西南北各方向に広がっている。たしかに、西への広がり方が一番大きいのだが、いろいろな意味で開発がしやすかったのだろう。
戻る



【参考資料】
●鈴木理生 『江戸の川・東京の川』 井上書院、1989
●東京地図研究社 『地べたで再発見! 『東京』の凸凹地図』 技術評論社、2006
●正井泰夫 『城下町東京 付録・大江戸新地図』 原書房、1987
●藤森輝信 『明治の東京計画』 岩波書店(同時代ライブラリー 18)、1990
●越沢 明 『東京の都市計画』 岩波新書(新赤版 200)、1991

ホームページ
●国土地理院 地図閲覧サービス ウォッちず
http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx



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山の手も下町?
山の手と下町


山の手と下町
山の手と下町
結局、「山の手」「下町」とは
「山の手」「下町」のイメージ
山の手・下町に東西がからむ理由
江戸の山の手・下町
山の手・下町と城南・城北
●なぜ食い違う?
江戸と東京は別の街
「山の手」「下町」って、どこ?
山の手と下町の違いは「塀」?




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2009-06-27(土) | Trackback(0) | Comment(0)

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野口 賢治

Author:野口 賢治
齢三十有余。転勤で名古屋にいた一年半を除けば、生まれてこの方、東京暮らし。物心ついてからは、縄文時代には水の底だったあたり。しかも、一人暮らしを始めてからも、好き好んでその辺に。軟弱地盤が好きなんです。


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