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Category : 山の手・下町山の手

山の手の範囲と拡大

範囲が拡大し、名前と内容が乖離しているのは、下町に限らず山の手でも同様だ。

山手線の中、あるいは周辺にある本郷・小石川・目白台あたりと、田園調布は明確に違う
その外側の地域もまた、違う。
「山の手」と一言でくくれるような類似性はない


東側は川や区画整理などによって、時代ごとの範囲設定をしやすいが、西側は明確な境界線を引きにくい。
あえて言えば、山手線のあたり23区のあたりが境界になるのだろうか。

●古くからの山の手:山手線の内側あたり
山手線の内側(「23区」と同スケール)
山手線の内側、赤線は旧東京市15区の西端、青線は山手通り
(クリックすると別ウィンドウでグーグルマップが開きます)

●戦前くらいまでの山の手:23区内あたり
東京23区西側
23区の内側(京浜東北線よりも西側)
(クリックすると別ウィンドウでグーグルマップが開きます)

●戦後の山の手:さらに郊外へ

拡大の具合が分かるように、両者の縮尺と位置を合わせてみた。
山手線については、「山手通りと旧東京市15区(註)との間」といったような意味もある。

江戸時代には武家屋敷が中心だった山の手が住宅地になったのは、明治以降。
この頃に宅地化されたのは、だいたい旧東京市15区のあたりまでだった。「山の手」と言ったときに、異論なく認められる範囲だろう。

大正時代に入り、1914~18(大正3~7)年の第一次世界大戦などによる好況もあり、東京の人口は増え続けた。
これによって、15区より外側の、山手線の周辺からさらに郊外へと住宅街が広がっていった。この「郊外住宅地開発」の傾向は、1923(大正12)年の関東大震災によって拍車がかかった。

震災によって拍車がかかった背景には、「鉄道開発+沿線開発」という手法での開発が進んでいたことがある。

その代表的な例が、東急による田園調布だ。震災直前に販売を開始し、震災の被害が少なかったことから、よく売れた。
成城学園と小田急による成城や、東武の企画に政府(内務省・都市計画課)が都市計画をした常盤台なども、この時代に開発された。
このあたりの詳細については、「山の手は高級住宅地?」を参照。

こうした「鉄道開発+沿線開発」という手法での開発が行われたのは西側だけで、東側では見られない
農地が広がり、工業地帯に変わっていった東側では、こうした開発がやりにくかったのだろう。

戦後には、主に高度経済成長により、爆発的に広がった。
農村と雑木林が広がっていた武蔵野は、住宅で埋めつくされた。東側の田畑や工場もどんどん排除されて宅地化した。「郊外」だった地域が、急速な勢いで住宅地に変わった。

当然のごとく、元郊外はスプロール現象(註)によって良好とは言えない街になっており、田園調布などの整備された街の価値をさらに高めることにもつながった。

こうした、様々な性格を持った地域を一括して「山の手」としてまとめてしまうと、なんだか分からなくなる

しかも、江戸から見れば東京は西に延びている
東側はすぐに都県境に当たるが、西側はまだまだ続く。山の手も、尽きる所がない。

昨今では三鷹や国立まで山の手に入れていたりすることがある。
そこまで行ったら、明確に郊外だろうと思うのだが。
(了)



旧東京市15区
麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川の各区。
だいたい、江戸の市街地だったあたり。

範囲については、ウィキペディアの地図(別ウィンドウで開きます)が分かりやすい。

1878(明治11)年、当時の東京府の下部組織として15の区を置いたのが始まり。
1889(明治22)年に、15区の範囲を管轄する組織として東京市が置かれ、その下部組織になった。
その後、都市化の進行と人口の増加により、1932(昭和7)年、周辺の5郡82町村を20区として東京市に編入、既存の15区と合わせて35区の「大東京」と呼ばれるようになる。
1936(昭和11)年、北多摩郡千歳村と砧村が世田谷区に編入され、これが現在の23区域になっている。
1943(昭和18)年、東京府と東京市は東京都に再編成される。
大戦後の1947(昭和22)年、35区は22区に再編され、同年、さらに板橋区から練馬区を分割することで現在の23区になった。
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スプロール現象
市街地が、無秩序・無計画に広がっていくこと。
道路は整備されずに細くてくねくね曲がり、それに囲まれた敷地も不整形で、それがさらに分割され、そのためにさらに細く曲がりくねった道が生まれ、どんどんごちゃごちゃしていく。
結果として、渋滞の多発、緊急車両の行動が制限されることによる災害の深刻化などが起こる。
また、たいがいはインフラの整備も不十分なため、生活環境としても好ましくない。
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【参考資料】
●越沢 明 『東京の都市計画』 岩波新書(新赤版 200)、1991

ホームページ
●東京都公文書館
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/



つながるページ
「山の手」「下町」って、どこ?
山の手は高級住宅地? 1


山の手の範囲と拡大
●山の手の範囲と拡大
山の手は高級住宅地? 1
山の手は高級住宅地? 2




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2009-06-27(土) | Trackback(0) | Comment(1)

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COMMENT

なんか、

当初の想定よりもかなり長くなっていますが、まだあと4回か5回くらいは続きます。
そもそも「山の手」「下町」というくくりがでかすぎたなあ…。i-229

参考資料について、これまでは「その1」にまとめていましたが、できるだけ、各ページごとに分散した方がいいのかな、と思っています。
で、今回からは各ページごとに載せていきます。過去のものも、できるだけ分散させたいとは思っています。
2008-12-18(木) | 野口 賢治: URL [Edit]

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プロフィール

野口 賢治

Author:野口 賢治
齢三十有余。転勤で名古屋にいた一年半を除けば、生まれてこの方、東京暮らし。物心ついてからは、縄文時代には水の底だったあたり。しかも、一人暮らしを始めてからも、好き好んでその辺に。軟弱地盤が好きなんです。


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09.10.02 :
東京でオリンピック?」を2分割。
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