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Category : 山の手・下町山の手

山の手は高級住宅地? 2

江戸よりもさらに狭い範囲で江戸のような住み分け方をしていた東京も、やがて人口が増え始める。

人口密度が上がり、過密になってくると、東京は郊外へと広がり始める。
大正に入り、当時の山手線(註)の駅周辺などから郊外住宅地の開発が始められた。


そこに関東大震災が発生する。1923(大正12)年のことだ。
これはちょうど、田園調布が発売された年だった。

田園調布は、中産階級(註)を対象にして開発・販売された。

先に挙げた「当時の山手線」にある地図を見ていただければ分かると思うが、田園調布は「田園」の名の通り、当時としては郊外というよりド田舎だった。だから、金持ちは基本的には開発資金の提供が主な仕事で、そこから都心に通勤する(註)のは、彼らがすることではなかった。

それが、今のような超高級住宅街になったのは、環境が良かったからだ。

田園調布は、イギリスの「田園都市」という考え方を元に、「人口過密の都市内ではなく、郊外の田園地帯に住むことが、中産階級の生活環境としては最適である」というような方向で計画された。

土地販売にあたって建築規則が設けられ、街並みについてもルールが作られた。購入後の土地の運用についても細かい条件が付けられ、環境を守ろうとした。

結果的に、この条件を理解・同意して購入し、環境を守ったのが中産階級ではなく、もっと上の方だった。

また、このような郊外住宅地は、田園調布の他には、板橋区の常盤台くらいしか作られなかった。そうしたことからも、次第に高級住宅街になっていった。環境が守られることで資産価値がさらに高まり、さらに高級化していった。

ひっくり返せば、他はたいしたことがなかった(註)ということだ。


関東大震災は、広がり始めた東京の拡大速度をさらに加速させた

従来の江戸のイメージや、田園調布などのイメージ、さらに、住民に中産階級以上が多かったことなどから、「山の手=高級住宅街」のイメージができた。
だが、十把ひとからげに「山の手」扱いされている東京西側の住宅地は、どんどん広がっていった。「山の手=高級住宅街」のイメージは、この広がりにくっついていった

つまり、中産階級がある程度上の方だった時代と、戦後の「一億総中流」という時代とが、ごっちゃになっている。
「同じような街」とはとても言えないものが、一緒くたにされている。

まあ、「高級住宅地に住んでいる」と思った方が、気分はいいかもしれない。だから、そのこと自体は否定しない。
「価格と名前」「イメージと質」、その辺が一致してるかどうかなんて、そんなことを考えると、現実が見えてしまうのかもしれない。

そうか、だから気にしないで考えないわけか。アタマいいねえ。
(了)



当時の山手線
山手線は、いわゆる「丸い緑の」東京都心環状鉄道である。
だが、正確には、山手線は環状ではない
田端から新宿・渋谷を通って品川までと、現在の埼京線(かつての赤羽線)の赤羽から池袋まで。これが路線としての「正確な山手線」。
残りの田端から東京までは東北本線、東京から品川までは東海道本線、それぞれの各駅停車だ。
上野駅や東京駅でも「山手線」と呼ぶのは、環状運転をしているので、運転系統としては山手線扱いになっているため。

現在の山手線の元になったのは、赤羽から新宿・渋谷を通って品川までの日本鉄道・品川線(開通:1885(明治18)年)と、田端から池袋までの日本鉄道・豊島線(開通:1903(明治36)年)。
両線は豊島線開業前の1901(明治34)年に「山手線」と改称された。

現在でも「正確な山手線」が丸くないのは、こうした由来があるからだ。

本文で言う「当時の山手線」は、この辺りの地域を指している。
つまり、山手線のあたりはまだ「郊外」だったということだ。

1906(明治39)年に鉄道国有法により日本鉄道は国有化され、国鉄などを経て現在のJRに至っている。

鉄道国有化時の路線図
鉄道国有化時の路線図

なお、この段階では、上野-新橋間はまだ線路がつながっていなかった。
1919(大正8)年に中央線が東京駅まで開業したことにより、中野-新宿-東京-品川-新宿-池袋-上野の、「の」の字運転が行われるようになった。この頃に中野から上野へ行こうとしたら、新宿駅で「(南を向いてる)上野行きの山手線」から「(北を向いてる)上野行きの山手線」に乗り換えていたのだろうか。ややこしいな。
上野と東京の間に高架線が建設され、環状運転を開始するのは1925(大正14)年からだ。
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中産階級
大正~戦前の学者・官僚・軍人・会社員など。今で言うと「ホワイトカラーのエリートあるいは知識人」といったところだろうか。

「中流」階級ではないことに、注意。
また、当時は今よりもブルーカラーが多かったことにも、注意。
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通勤する
田園調布を販売したのは、渋沢栄一が作った田園都市株式会社。
そしてこの田園都市株式会社が設立した通勤用の鉄道が、東急だ。
だから、田園調布、あるいは日本における「田園都市」という思想は、東急とは切っても切れない関係にある。

ちなみに、「田園調布」と言われると世田谷区のようなイメージがあるが、実は大田区。
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他はたいしたことがなかった
「たいしたことがない」のは、「新興住宅地として」とでも言うべきか。
麹町や本郷のような、すでに確立していて、格も上の地域と比較してのことではない。
そもそも、比較にならない。
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【参考資料】
●越沢 明 『東京の都市計画』 岩波新書(新赤版 200)、1991
●交通博物館(編) 『図説 駅の歴史 東京のターミナル』 河出書房新社、2006



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山の手の範囲と拡大
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2009-06-27(土) | Trackback(0) | Comment(1)

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間が開いてしまったのは、「年末で忙しかったから」ということにしておいてくださいませ。

間が開いた分、一度に2つ載せてみました。
「それなら2回に分けて」とはいかないのが、いろいろと面倒なところ。

なにはともあれ、どうやっても今年はこれで最後。
よいお年をお迎えください。
2008-12-31(水) | 野口 賢治: URL [Edit]

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プロフィール

野口 賢治

Author:野口 賢治
齢三十有余。転勤で名古屋にいた一年半を除けば、生まれてこの方、東京暮らし。物心ついてからは、縄文時代には水の底だったあたり。しかも、一人暮らしを始めてからも、好き好んでその辺に。軟弱地盤が好きなんです。


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