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Category : 山の手・下町

江戸と東京は別の街

江戸から東京になり、一番大きく変わったのは「人」だろう。

100万を超える人口を誇った江戸市民の多くが田舎に戻った。
各藩の江戸屋敷はなくなり、江戸勤番も不要になり、武士は去った。都市機能が小さくなれば人は不要になり、町人たちも江戸を離れたのだろう。

山の手に広がっていた武家屋敷の多くは茶畑・桑畑にされ、下町は市区改正(註)と2回の全焼(註)で整理された。

江戸の残り香は今もそこかしこにあるが、「都市」としての直接的なつながりはあまり無い(註)と言っても良いのではないかと思う。「東京の歴史とは、江戸を壊すこと」と言ってもいいかもしれない。同じ「下町」でも、ずいぶん違う


さらに、東京として発展することで人口は増え、範囲は広がって周辺都市とつながったが、「山の上は高級・下は安価(註)」という構造は変わらずに引き継がれた。
それ以外にも、江戸ともなんとなくつながりがあるので、過去の区分でもなんとなくそれらしくはなる。
だから余計にややこしい。

いずれにしても、地形による区分と住民の性質をつなげて考えることは、完全に非現実的であることは間違いない。

なにしろ、人は大きく入れ替わっているから。江戸時代から東京に住んでいる人なんて、そう多くはないから。

東京は江戸ではないのだから。
(了)



市区改正
ごく簡単に言えば、区画整理。もう少し正確な言い方をすれば都市改造、今で言う都市計画
詳しくは、「下町の特徴:路地、町工場」の註釈で。
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2回の全焼
言うまでもなく、関東大震災と太平洋戦争。
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つながりはあまり無い
例えば浅草寺は1400年近い歴史を持つが、今の本堂は1958(昭和33)年の竣工。つまり戦後の築。

浅草寺本堂
浅草寺本堂(09.03.09)

1865(慶応1)年に焼失した雷門が再建されたのは、そのさらに2年後の1960(昭和35)年。

雷門
浅草寺雷門(09.03.09)

日本橋は徳川家康の頃からあるが、現在の石橋が架けられたのは1911(明治44)年。
道路網は市区改正で整備された。
多くの運河は埋め立てられ、あるいは暗渠にされた。

様々な「場所」は残っているが、「モノ」は意外に少ない。
そういう意味では、墓石や石碑などは江戸の貴重な遺産と言えるかもしれない。
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山の上は高級・下は安価
これがずいぶんと悪用されているという話もある。
麻布や白金と言えばイメージはいいが、実際には丘の上だけではなく谷底もある。谷底にある不動産物件でも、「山の手」「麻布」「白金」と名乗るだけで高値になるとか。
もう少し西の方へ行くと、かつての谷底を底上げしたような地域もあり、そういう所は、ちょっとした大雨で水没することもあるとか。

そういうことは地形をよく見れば分かることだが、根拠もないのになにやら良いイメージを持っていれば、うまく宣伝されれば疑わずに購入するのも分からなくはない。
そうは言っても、「そんなの自爆に過ぎない」という事実は変わらない。
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【参考資料】
●藤森輝信 『明治の東京計画』 岩波書店(同時代ライブラリー 18)、1990
●越沢 明 『東京の都市計画』 岩波新書(新赤版 200)、1991
●『現代日本を創ったビッグプロジェクト』 昭文社、2008

ホームページ
●浅草寺
http://www.senso-ji.jp/



つながるページ
下町の特徴:路地、町工場
山の手と下町
なぜ食い違う?


江戸と東京は別の街
●江戸と東京は別の街
江戸の下町、東京の下町


山の手と下町
山の手と下町
結局、「山の手」「下町」とは
「山の手」「下町」のイメージ
山の手・下町に東西がからむ理由
江戸の山の手・下町
山の手・下町と城南・城北
なぜ食い違う?
●江戸と東京は別の街
「山の手」「下町」って、どこ?
山の手と下町の違いは「塀」?




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2009-06-27(土) | Trackback(0) | Comment(2)

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COMMENT

Re: 下町山の手私考

時代屋さん、コメントありがとうございます。
あっち行ったりこっち行ったりのふらふらした話をきれいにまとめ直していただいたような感じで、なにやら答案に赤を入れられたような気分で拝読しました。


私も、時代屋さんのおっしゃるとおり、「山の手も下町も江戸で町民が生み出した言葉であるゆえに、その適用範囲は旧江戸府内限定」というのが本来だと思います。

しかし、一般的な認識は、そうではないわけです。「浅草は下町じゃない」と言われて納得できる人は、そう多くはないと思います。「足立・葛飾は、さすがに下町じゃないだろう」と思って育った私も、「浅草なんて川向こう」という認識はありませんでした。それが「実は違うんだ」と分かった今でさえ、「町人地」と「下町」をイコールでつないでしまいかねない。

となると、現状追認のようではありますが、「東京としての」山の手・下町という認識が必要なのではないかと思うのです。
ただ、これは「正しい/間違い」という判断はできないと思うので、最後に、自分で茶碗を並べたちゃぶ台をひっくり返すような結末にしてしまったわけです。

「数の力」は、政治的な多数決よりもよっぽど強力です。おかしいと分かっていても、修正はほぼ不可能。だったら放り出してしまえ。そんな、ひねくれ半分の責任放棄でもあります。


江戸っ子が言う「ノテ」は、やっかみ半分だったのではないでしょうか。自分たちがいかに優れていようと乗り越えられない、身分という壁。それに対する、江戸っ子流のひがみ。今の東京人は持ち合わせないイキなやり方だと思います。

あるいは、ひねくれた見方をすれば、「川向こう」の本所あたりに住まわされた下級武士たちの、地方藩士に対するものもあるのかもしれません。
勤番はともかく、江戸定府だと代々江戸にいたりもするようなので、そうなると、へたな旗本よりもよっぽど洗練されている藩士もいたでしょうから。
「江戸っ子」という概念が成立する頃には世の中は天下泰平を満喫しており、大田南畝などに見られるように、武士たちも町民と対等に接するようになっています。江戸っ子は本来は町人ですが、ごちゃ混ぜになってくると、その辺は結構いいかげんだったのではないかと思います。「三代云々」も含めて。


全然関係ありませんが、「下町」の名称の由来として、最近、「地図の上下」ということもあるのではないかと思っています。江戸時代の江戸の全体図は西を上として描かれています。「城下町」「山の下」という意味の「下」だけではなく、「地図の下の方」という「下」もあったのではないか、と。

時代屋さんは、どう思われますか?
2009-03-06(金) | 野口 賢治: URL [Edit]

下町山の手私考

大変面白く拝見しました。
世の移り変わりとともに言葉の定義も変わってゆくことは事実です。
それでも私は、山の手も下町も江戸で町民が生み出した言葉であるゆえに、その適用範囲は旧江戸府内限定だと思っています。
下「町」というからには江戸町奉行が管轄する正式な町屋のうち下町地域としての地続きの部分を指すと思います。
明治に入ってから初めて町となった武家地・寺社地(含む門前町・神社前町)に当然下町の資格はないでしょう。
山の手に散在する低地商店街を山の手の下町などというのもおかしいと思います。
麻布十番は江戸時代には山の手の門前町であり下町ではありません。
軍施設向け商店街として賑わうのは明治以降です。
山の手が高級で下町が低級でがさつというのは江戸時代の概念ではないでしょう。
下町というのは江戸町民が江戸城下町であることを誇りにつけたネーミングだと思います。
これに対し山のほうに当たる山の手は、町民たちに「ノテ」と馬鹿にしたように使われています。
水路水運があり道路が整然と敷かれ、市場・商店が並び便利で文化的な江戸下町に対し、野暮な田舎侍の住む辺鄙で不便なのが山の手という認識だったと。
有力大名の上屋敷は丸の内から愛宕下への大名小路など、城近くの低地にありますし。
山の手が富裕層が住むお屋敷町として憧れの地に変化してゆくのは明治以降の価値観でしょう。
維新後はそれまでアンタッチャブルだった武家地が開放され、金さえあれば誰でも住めるようになりました。
職業選択や移住の自由が与えられ、東京には工場が立ちそれは周辺に広がり、地方から労働者が流れ込みます。
城東・荒川など水の豊富な地域にそれは顕著で。工業地域の労働者住宅群が形成され新たな下町が生まれます。
中心部には軍人・官僚・資本家が新たな支配層として武家地跡の条件の良い場所に住みつきます。
山の手地区でも、金持ちは高台の好立地に屋敷を構え、谷間や低地の劣悪環境には無産者の都市型スラムが形成されます。
本来の下町地域は東京を代表する商業商店街繁華街に変貌します。
高貴な山の手と貧乏な下町はこうして新たな二極分化の時代を迎えます。
機会があればまた。
2009-03-06(金) | 時代屋: URL [Edit]

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野口 賢治

Author:野口 賢治
齢三十有余。転勤で名古屋にいた一年半を除けば、生まれてこの方、東京暮らし。物心ついてからは、縄文時代には水の底だったあたり。しかも、一人暮らしを始めてからも、好き好んでその辺に。軟弱地盤が好きなんです。


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